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【フェールラーベンポラー】北極圏犬ぞり紀行 Vol.2

冬のスカンディナヴィア北極圏を犬ぞりで旅する極地遠征プロジェクト『フェールラーベンポラー』に日本人として初めて参加した
上村幸平さん。世界中から選出された20人のメンバーと、150匹のアラスカン・ハスキーとともに、スウェーデンからノルウェーにかけての300kmを旅する記録を3回にわたってお届けします。

 


 

上村幸平(うえむらこうへい)
カナダ在住の写真家。1998年大阪生まれ。自然と人間の境界線を探りながら、写真とことばの力を使ってストーリーを伝えています。

 


 

4月4日 遠征二日目:オーロラの舞う夜

 

 

北極圏での最初の夜が明けました。犬たちの遠吠えで何度も目が覚めましたが、朝起きた頃にはあまり疲れは残っていません。
「おはよう諸君!よく眠れたかい?」とダニエルが僕らのテントを覗いて声をかけてきます。
「最高とは言えないけど、疲れは取れたよ」と僕が答えます。
「羨ましいな。俺は3時くらいにトイレで起きちまってからは寝れなかったよ」とタイラーも寝袋から顔を出してきます。

 

起床、トイレ、テント撤収、食事。普通の登山なら30分もあれば終わるものが、厳冬期の北極圏においては二時間ほどかかります。
体もすぐ動かないし、雪を溶かして水にするには気が遠くなるほどの時間がかかります。加えて、今日の午後からは犬たちの食事の準備もすることになります。

 

 

雪の上で丸くなって一晩を明かした犬たちは、温かい朝ごはんをたらふく食べて元気いっぱいです。各チームが出発の準備を始めると、犬たちも各々に立ち上がって吠え叫びます。なかなか見応えのある光景です。

 

10時過ぎにスタート。最初の湖を越え、森に入り、また湖に抜け、森を走ります。北欧の最北部に広がるラップランドは、氷河が幾万年という悠久の時間をかけて大地に作り上げた広大な彫刻作品です。初日と二日目は凍結した湖水地帯を走り続けます。

 

 

今日も絵に描いたような快晴です。まるでこの世には白と青しか存在しないかのようにも思えます。オーバーオールとレインジャケットのおかげで体の寒さは感じませんが、風の吹き付ける湖の上を疾走する犬ぞりにじっと立っていると、足の指先や耳がじんじんと冷えてきます。薄手のニット帽のうえにフライトキャップをかぶります。仰々しいけれど温かいです。

 

途中、大きな上り坂を通過します。傾斜がきつく、犬たちは雪に足を取られつつ、重たそうにこちらを伺います。僕も精一杯後ろを蹴ってアシストします。登り切ったと思うと、すぐに下り坂のヘアピン・カーブです。曲がりたい方向に体重をかけてハンドリングしつつ、下りでスピードを上げようとする犬をブレーキで押さえながら、体幹でソリが倒れないようにバランスを維持します。トレイルのすぐ横の雪壁にソリがつっかえてガリガリという大きな音がし、思わず息を呑みます。

 

 

テクニカルなカーブを除けば、ほとんどがゆるやかな登り下り。前後のスレッドとの間隔を維持できるようにスピードを調整するくらいです。前方を走るアナが水筒を取り出したのを見て「水を飲むのを忘れないように」と再三言われていることを思い出します。

 

水分補給の大切さについては、事前のオンライン研修でも、ロッジでの事前研修でも、何度も繰り返し強調されていました。極地において、人間の身体は体温を維持するためにものすごいエネルギーを消費します。寒さで喉が渇くことなんて忘れがちですが、気付かぬうちにどんどん水分は奪われていきます。ボトルを取り出し、朝に時間をかけて沸かした1Lの水を躊躇せずに一気飲みします。犬たちは走りながら、地面の雪を舐めています。なんてダイナミックな水分補給なのでしょう。

 

 

三時間ほど走り続け、二日目のキャンプ地に到着です。アナが犬ぞりをアンカーで停め、僕もロープとショベルを取り出して犬たちを固定させます。犬たちはもう終わり?と言わんばかりにケロッとしています。まだ日が高いうちに今日の行程は終わりです。時間は午後の一時過ぎ。イベントマネージャーのカールたちがやってきます。
「第二キャンプへようこそ。二時間半後にミーティングだ。それまでに昼ごはんと設営、犬の世話を片付けるんだ」
なんか物足りないなとこの時は思っていましたが、そんな戯言も言っていられないということに後ほど気づきます。犬ぞりの旅で大変なのは犬ぞりで走ること自体ではなく、それ以外なのです。

 

 

昼ごはんにトマトパスタの袋を開け、朝沸かしたお湯を魔法瓶から注ぎます。底からしっかり混ぜ、5分おきます。その間、空になった魔法瓶に詰めるためのお湯を沸かします。魔法瓶と水筒はいつも満タンにしておく、というのも極地探検における黄金ルールのひとつです。
「ふたり、手を貸して。犬たちのご飯を準備したいの」とアナ。タイラーとケイトにテントの設営を任せ、僕とガビでアナについていきます。
「袋に凍ったドッグフードが入ってるから、まずそれを斧で程よい大きさに切り分ける。コンロに火をつけ、その上でお湯を沸かす。
そして、クーラーボックスに切り分けた冷凍フードとお湯を混ぜて、ドライフードと一緒に食べさせるの。簡単でしょ?」

 

 

白い袋を開けると、大きなソーセージ状のドッグフードがこれでもかと入っています。ガビと手分けして包装を剥ぎ、斧で割っていきます。犬用コンロでお湯を沸かし、割っておいた冷凍フードが溢れかえるほど入ったクーラーボックスに熱湯をかけ、蓋をして蒸します。柔らかくなってきたら混ぜてどろどろのスープ状にし、そこに普通の乾燥ドッグフードを混ぜます。犬たちは目の前に置かれたボウルに食事を分けてやると、遠吠えをやめて必死に食べ始めます。

 

 

「今日は極地のコンディションで火を起こすトレーニングだ」
夕方のブリーフィング。ダニエルと共にアウトドアトレーニングを担当するハラルドが、夕日に目を細めながら説明を始めます。
「まずは雪面を掘って簡易的な焚き火台を作る。雪を掘り返して、埋もれている倒木や枝を薪として集める。生えている木々なんかよりずっと乾燥していて火がつきやすいんだ」
ハラルドが見本として薪を組んでいきます。
「今夜は各チームで火を起こし、それで食事にしよう」とダニエル。「大きなバッグに薪と漬け込まれたトナカイの肉が入っている。
チームごとに持っていってくれ!」

 

 

雪に穴を掘ってスノーシューで固め、即興のファイヤピットを作ります。タイラーが雪上に座れるスペースを作り、僕が薪を組んで、ケイトとガビに着火を任せます。何度かナイフが火花を散らし、白樺の薄い皮に火がつきます。焚き付け材に火を移し、慎重に息を吹きかけつつ薪を足していきます。火を作るのはいつでも楽しいものです。パックに入ったトナカイの肉はしっかりと味付けされているようです。

 

 

木の枝の先端を削り、トナカイの肉を刺して火にかざします。火の粉が弾けるパチパチという音、肉の表面が焼かれてジュワッと肉汁がしたたる音。狩猟採集民だったころの人類もこうして火を囲んで肉を炙っていたんだろうなと思うと、この肉を焼く喜びは人間のDNAに刻まれたものなのかもしれません。よく焼けたトナカイ肉をふかふかのフラットブレッドに挟んでいただきます。低脂肪・高タンパクのその肉はあくまで柔らかく、素朴な味付けの奥に氷の中に閉じ込められたような深いコクがあります。

 

食事を終え、ヘッドライトをつけて寝る準備をします。カメラの挙動がおかしくなるほどの寒さです。氷点下30度ほどでしょうか。ポラー・パーカを引っ張り出して着ます。とてつもない安心感をもたらしてくれるジャケットです。時間をかけてチームメイト全員分の水筒にお湯を詰め、寝る準備も万端です。

 

凍った歯ブラシを口の中で溶かして歯を磨いていると、上を見上げて!と誰かの声がします。空を見上げると、緑のモヤのようなものが立ち上がっています。初めて目の当たりにしたオーロラは天空に美しいタペストリーを広げ、こちらに何かも物語を伝えようとしているようにも見えます。
「踊ってるみたい!こんなの初めて見たよ」ケイトが呟きます。歯ブラシをふくんだまま僕も頷きます。長い1日の終わりに宇宙の贈り物を目にし、心が温まりました。

 

4/5 遠征三日目:マイナス35度の世界

 

 

思わず顔をしかめてしまう寒さ。すぐに着替えられるように、足元にジャケット類を準備しておいたのは正解でした。
「スノーブーツを履くのが最大の苦行だよな」と起きてきたタイラーが呟きます。二層構造になっている極地用ブーツの正しい履き方が未だによくわかりません。

 

「マイナス35度の世界へようこそ」
ハラルドが僕たちのテント場に来て、今朝の凄まじい寒さの正体を教えてくれました。朝ごはんに魔法瓶からお湯を注ぎ、冷めないうちにいただきます。チョコレート入りのミューズリー(スイス風オートミール)は甘さが食欲を沸き立たせてくれます。

 

 

犬たちに食事を配膳し、彼らの糞を集めて穴に埋め、テントを撤収し、スレッドに荷物を詰め込みます。マルチタスクをチームで手分けして行います。なかなか頭と体を使う作業です。

 

パッキングと湯沸かしが終わり、各チームが犬たちを所定の位置にハーネス付けしていきます。ハスキーたちも出発時間がそこまで来ているのを感じ取ったのか、遠吠えを始めます。まるで武士たちが出陣にあたって鬨の声をあげるかのように、彼らのコーラスには強い決意のようなものが感じ取れます。

 

 

10時に最初のチームが出発していきます。定刻通り。僕たちのチームは先頭がアナ、そして僕、タイラー、ガビ、ケイトの順です。犬ぞり旅も三日目。緩やかな丘陵を抜け、広大な湖がいくつも連なる部分を駆けていきます。犬たちは今朝新しく生まれたばかりかのように元気いっぱいです。

 

しばらく走っていると、じわじわと頭痛を感じ始めます。頭と耳に手をやると、キンキンに冷えているのが分かります。いくら身体のコアを温められていても、末端は気付かぬうちに冷えていきます。ダウンの帽子をニット帽の上にかぶり、ネックウォーマーを鼻の位置まで上げます。レインジャケットをフードまでかぶってジッパーを引き上げます。これで少しはマシになるでしょう。

 

 

今日はちゃんと昼ごはんの時間があります。まだ少し寒気を感じるので、ポーラ・パーカをソリから引っ張り出して羽織ります。温かいエナジードリンクも飲み干し、少し気分が回復します。
「ノルウェーのチョコレートだ!食べなよ」とコロンビア人のディエゴが黄色の小さなパッケージを渡しに来ます。「これが美味しすぎて、ノルウェーではキットカットが撤退したんだぜ」
ディエゴはいつでもニコニコで、ラテンの人間は北極圏でもラテンなのだなと感心します。甘すぎないウエハース・チョコレートが五臓六腑に染み渡ります。じんわりとエネルギーに変わっていくのを感じます。

 

 

食事を終え、すぐに再スタート。しっかり水分もエネルギーも取ったはずですが、風に当たるとまた頭痛が始まります。耳の奥が締め付けられているようで、瞼が重いです。犬ぞりに乗りながら、強い眠気にうつらうつらしてしまいます。平坦な湖地帯を走っていることが救いです。数十秒づつ目を閉じながらなんとか犬ぞりをコントロールして進むと、これまでで一番大きい湖に出ます。遥か遠くにスカンディナヴィアの山嶺が見渡せます。あの向こうがノルウェーかと思うとはっとします。

 

 

隣をレネのチームが並走します。彼女のはつらつな笑顔に元気をもらいます。写真を撮るよ!とレネが言うので、魔法瓶を取り出してインスタントコーヒーを淹れ、くつろいでみせます。
「その調子!またキャンプでね!」
コーヒーのおかげか彼女のおかげか、意識がクリアになります。ありがたいです。傾いていく陽光に照らされる氷の大地、ようやく全貌を表し始めた山々の景色に何度も息を呑みます。

 

 

「キャンプ・カットゥヤルヴィへようこそ!」三日目のキャンプ地に到着した僕たちに、ダニエルが話し始めます。「今日はテントを使わないキャンプ方法を学ぼう」
よく固められた雪をブロック状に掘り出し、それでシェルターを作るというのは幾度か本で読んだことがありましたが、実践をするのは初めてです。風の方向を地形・予報から読み、それに従って場所を選び、雪ブロックを積み上げます。地面を踏み固め、その上に木の枝を敷き詰めて断熱材にし、スリーピングマットを敷いて寝袋で寝るということです。

 

 

「一度外で寝ると、もう二度とテントで寝たくなくなるよ」とダニエル。寝袋にくるまって夜空を見上げることを想像します。なんという贅沢でしょう。「ただ、夜に少し天気が崩れる予報だ。判断はチームで下してくれ」
スノーストームの中で寝たくはないよね、という共通見解で、僕たちはブロックを積み上げてキッチンゾーンとテントゾーンを守ることにします。ガビに湯沸かしを、ケイトにテント張りを任せてタイラーとふたりで雪壁作りに取り組みます。表層の雪はふわふわで、積もうとするとすぐに砕けてしまいます。少し掘り下げてからブロックを切り出す必要がありますが、ここの湖の雪は浅くてすぐ氷に行き当たってしまいます。チリ・ビーンズの夕食をスプーンでかき込みながら、ひたすら雪大工仕事を続けます。

 

 

「いい壁だな!」
オランダ人のジェロンが僕たちのキャンプ地に忍び込むようにやってきます。久しぶりにチーム以外のメンバーと話します。設営もろもろが終わって寝るまでの短い時間が、他のチームメンバーも交えて談笑できる数少ないタイミングです。チョコレートをかじりつつ、尋ねてきたジェロンたちと話します。

 

 

あたりが暗くなり始め、ヘッドライトをつけて就寝前にお湯を沸かします。全てのボトルに湯を詰め終わると、歯を磨いてテントに入ります。頭痛のなかよく頑張ったと自分を褒めます。持ってきたテニスボールで背中の筋肉をほぐしていると、自然に深い眠りに落ちていきました。

 

– 【フェールラーベンポラー】北極圏犬ぞり紀行 Vol.3 は、6/7(金)更新予定です –

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